経験・知見と主体性。

我々はDisruptの時代を生きており、一方では過去の成功体験に基づいた
アイディアや物事の進め方は無意味であるという意見がある。

他方で体験や経験は引き続き重要なポジションを占めているとも言える。
例えばビジネススクールでは引き続きケースメソッドが利用されているし、
企業では知見の蓄積の重要性が説かれている。
また顧客は過去の経験・体験に基づいて行動すると想定されており、
CX施策などを通じた“体験”を提供することが重要視されている。
これらは広義では過去の経験や知見に基づいて物事を進めることの
重要性を示唆していると考えられる。

 

恐らくこの問題は、穏当な結論に帰着するものと考えられる。
すなわち、課題等に応じて非経験的な思考と同時に
経験もバランスよく踏まえることが重要
ということになるのではないか。

 

しかし、ここには見落とされている問題がある。
それが主体化の問題である。

経験が充分に積みあがったとしてもそれは、
単に経験があるだけという状態であり、
その経験に対して主体がどのように関わるのかについては、
もう一段階の検討が必要となる。

 

これは自分自身の経験に関してだけでなく、
例えば企業が過去事例やナレッジを整備したとしても、
どのように主体的な関わりを引き出し、効果につなげるためには
もう一段の検討が必要となることを意味している。

 

フランスの哲学者ドゥルーズによると、ヒュームの議論を踏まえつつ、
主体は以下のようなプロセスで生成される。

外的状況が我々の感覚へ働きかけは、我々の側での直接的な感覚と
想像力の刺激、因果性の把握につながり、空間的な接近や類似性、
時間の観念が連合して作り出される。

この観念の連合体は、功利性の原理(快はより求められ、
苦痛は退けられる/遠ざけられる)を通じて、
主体というシステムへ生成される(「経験論と主体性」)。

この効果(主体性の確立)のもとで主体は目的や意図を追求し、
目標を目指して諸手段を整え、観念のあいだに諸々の関係を設定する。

 

もし、この主体性の確立を前提とするのであれば、
我々は単に知見や経験を整備する(=感覚の刺激)だけでなく、
功利性の原理に則った「快」につながる要素をコンテンツ側に
用意する必要がある。
それは、ナレッジを獲得するスキーム全体にゲーム性や達成感を
もたらす要素、またはコンテンツそのものに「快」につながる要素
(楽しい、性的なものなど)を含めた設計が必要となる。