前向き/後向きとOpen/Close(4)

ここまでの整理は以下の通りである。

第1象限 → プラグマティズム
第2象限 → ポストモダン思想
第4象限 → 原理主義


残っている第3象限(Close-後向き)には、
典型的な「考え方」が整備されていないように見える
(存在していないということではない)。

この第3象限は、後向き=何かを推進する意志は持たないし、
Closeであるため誰かの意見を積極的に聴取する聞くこともない。
つまり、この象限に属する主体は、行動につながるような意志は
持たず、他者とのつながりからは切断された状態にある。

私たちはこの領域に属するような人々を容易に想定できるし、
もちろん彼ら/彼女たちなりに何らかの形で
主体性や考え方の一つのまとまりをもっている。
従って、繰り返しになるが、「存在しない」のではなく、
「整備されていない」ように見える。

 

ここで、もし、思想・思考とは、
「自らの課題に対しての取り組み方(前向き-後向き)」と
「他者との関係性(Open-Close)」の
運用・バランスにより定義されることを前提とすると、
第3象限も運用に資する体系を具備する必要がある。

 

但し、前向き/後向きとOpen/Closeの関係性の整理からは
より第3象限に踏み込んだ論考が必要となる。
今回は「(仮)ひきこもりの思想」として設定し、
別の論考においてこの思想の体系化を検討したい。

 

 

 




前向き/後向きとOpen/Close(3)

さて、ここまで前向き/後向きとOpen/Closeの相関性に着目し、
第1~第4象限の論理的な概要を整理した。
そこで、次に現実にはどのように存在しているかを検討してみる。

第1象限:Open-前向き
この領域の姿勢・考え方は「他人の考えを受け入れつつ、
肯定的な表現をともなって推進する意思を持つ」。

この領域の典型例の一つとして、現代アメリカの
プラグマティズムを挙げることができる。

例えばプラグマティズムを完成したと言われる
ジョン・デューイによれば、
それ以前の西洋哲学(究極の真理の探究)とは異なり、
知識は具体的な問題を解決するための手段として
位置づけられている。
また、プラグマティズムの特徴としては、
多元性や対話を重視する点も挙げられる。
これらは前向きでOpenな姿勢を志向するものと解釈できる。


第2象限:Open-後向き
この領域の姿勢考え方・姿勢は「他人の考えを受け入れるが、
否定的な表現をともなって推進する意思は持たない」。
この領域の典型例としては、ポストモダン的思想や
価値相対主義を挙げることができる。

千葉雅也によると、ポストモダン的思想が提示する
概念には型があり、先行理論が排除している他者性に
着目し、その他者性を取り込み、それが核となるような
構造を提示する→この“新しい構造”が常識と齟齬を来す。

これは、まさにOpen-後向きのスタンスであると言える。
他者の観点は視野にいれて検討しているものの、
常識=従来とはあまりに異なるため、
推進しようという機運にはつながらないのである。

 

第4象限:Close-前向き
この領域の考え方・姿勢は「他人の考えを受け入れないが、
肯定的な表現を伴って物事を推進する」ことである。

この領域の典型例としては「原理主義(主にキリスト教
イスラム教」を挙げることができる。
近代化への批判と、(見たこともない)選択的な理想の
世界像を構築し、このままでは終わってしまう世界を
救済する思想などによって特徴づけられる。

これらの要素によって構築された組織は、
組織内/外を明確に区分し、また個人のレベルでの
イングループバイアスと確証バイアスを通じて、
ある特定の原理、及びグループへの依存が強化される。

これらは、他者の意見は受け入れない
(=私(たち)が正しく、外が間違っている)が、
自分たちの世界観で救済を推進する
(このままでは世界が破滅するため)という
考え方・姿勢を表している。

 

前向き/後向きとOpen/Close(2)

前向きであることとOpenであること、
また後ろ向きであることとCloseであることは
共に親和性が高いと思われる。(第1、3象限)

 

ある人が前向きな姿勢を示す=話の焦点となっている事柄を
「本当に」推進しようとしていれば、その事柄が置かれている
状況や目的、方向性を把握して進める必要があり、「それらを
把握すること」に“自然と”思い至る。この過程で自分の観点を
確立しつつ、周囲の人の観点を踏まえて思考・判断し、
その結果を状況・周囲の人に対して肯定的に適用する。
逆に推進しようとする意志を持たなければ、手近にある自分の
観点のみで状況に対処しようとするだろう。

以上の考察から、前向き-Openと後向き-Closeには
親和性があり、また意志が先行し、Open/Closeな状態に
到達するものと考えられる。

 

さて、では前向き-Close、または後向き-Openの組合せは
成立するのであろうか(第2,4象限)。

前向き/後向きは話の焦点となっている
事柄についての姿勢であるのに対して、
Open/Closeは主には他者との関わり方が問題となっており、
論理的には前向き-Close、後向き-Openは
成り立ちそうではある。

 

しかし、より具体的にはどのような状態であろうか。

 

前向き-Closeな状態とは、前向きであることから推進の意志は
持っており、肯定的なメッセージを発しているが、
しかしCloseであるために(根本的には)相手の観点を踏まえて
思考・判断してない状況である。

この組み合わせとしては「暴走している」と表現される状態か、
原理主義的態度が考えられる。
例えば、組み立て作業の工程が時短、省エネなど
明らかに改善されるという大義名分に基づいて、
個々人の事情を考慮せずに改革を推進するケースなど
が考えられる。

 

逆に後向き-Openな状態は、人の意見は傾聴しており、
相手の観点も踏まえて思考・判断しいているが、
否定的な表現とともに推進する意志は見られない状況である。

例えば、仕事がうまくできていないことに悩んでおり、
親身なアドバイスの受け手となるケースを考えてみる。
ここでは「悩んでいる」ので当然、相手の意見を傾聴していると
想定されるが、かといって自己変革するほどの意志は持たない。
この場合はOpenではありながら、建前として消化しており、
姿勢としては後向きなケースと言える。

 

従って後向きと前向きの差、または姿勢の転換には、
もう一段「行動につながる/つなげるかどうか」という
これまでの検討内容(前向き/後向き-Open/Close)とは
別の課題がある。

 

 

前向き/後向きとOpen/Close(1)

一般的に前向きとは、話の焦点となっている事柄に対して
肯定的な表現とともに、推進する意志を持つことである。
逆に、後向きとは否定的な表現とともに、
推進する意志は持たないことである。

例えば、「補足資料を作る」ケースを考えてみる。
前向きな姿勢とは「わかりやすくする/より良い理解を
助けるために」といった表現を伴って推進する(=資料を作る)が、
後向きな姿勢は「やってもしょうがない」「どうせ読まれない」
といった否定的表現を伴い推進する意志は持たない。

 

この前向き/後ろ向きと類似した、同様に姿勢に関わる
キーワードとしてオープン/クローズが挙げられる。
「オープン」な人は積極的に人と関わり、意見なども
積極的に聴取し、取り入れていくような人・タイプであり、
「クローズ」はその逆である。

この差は、立脚する観点とその適用の差があると考えられる。

すなわち、オープンとは「自分の観点に加えて、相手の観点も
踏まえて状況を捉え、それに基づいた思考や判断を自身と相手に
適用すること」を指していると考えられる。
一方、クローズは「自分の観点に基づいて状況を捉え、
それを相手にも適用すること」と言うことができる。

さて、ここではっきりさせておきたいことは、
先の前向き/後向きとオープン/クローズの相関性の有無である。







 



 

経験・知見と主体性。

我々はDisruptの時代を生きており、一方では過去の成功体験に基づいた
アイディアや物事の進め方は無意味であるという意見がある。

他方で体験や経験は引き続き重要なポジションを占めているとも言える。
例えばビジネススクールでは引き続きケースメソッドが利用されているし、
企業では知見の蓄積の重要性が説かれている。
また顧客は過去の経験・体験に基づいて行動すると想定されており、
CX施策などを通じた“体験”を提供することが重要視されている。
これらは広義では過去の経験や知見に基づいて物事を進めることの
重要性を示唆していると考えられる。

 

恐らくこの問題は、穏当な結論に帰着するものと考えられる。
すなわち、課題等に応じて非経験的な思考と同時に
経験もバランスよく踏まえることが重要
ということになるのではないか。

 

しかし、ここには見落とされている問題がある。
それが主体化の問題である。

経験が充分に積みあがったとしてもそれは、
単に経験があるだけという状態であり、
その経験に対して主体がどのように関わるのかについては、
もう一段階の検討が必要となる。

 

これは自分自身の経験に関してだけでなく、
例えば企業が過去事例やナレッジを整備したとしても、
どのように主体的な関わりを引き出し、効果につなげるためには
もう一段の検討が必要となることを意味している。

 

フランスの哲学者ドゥルーズによると、ヒュームの議論を踏まえつつ、
主体は以下のようなプロセスで生成される。

外的状況が我々の感覚へ働きかけは、我々の側での直接的な感覚と
想像力の刺激、因果性の把握につながり、空間的な接近や類似性、
時間の観念が連合して作り出される。

この観念の連合体は、功利性の原理(快はより求められ、
苦痛は退けられる/遠ざけられる)を通じて、
主体というシステムへ生成される(「経験論と主体性」)。

この効果(主体性の確立)のもとで主体は目的や意図を追求し、
目標を目指して諸手段を整え、観念のあいだに諸々の関係を設定する。

 

もし、この主体性の確立を前提とするのであれば、
我々は単に知見や経験を整備する(=感覚の刺激)だけでなく、
功利性の原理に則った「快」につながる要素をコンテンツ側に
用意する必要がある。
それは、ナレッジを獲得するスキーム全体にゲーム性や達成感を
もたらす要素、またはコンテンツそのものに「快」につながる要素
(楽しい、性的なものなど)を含めた設計が必要となる。

指針。

人は実力ではなく、知名度に対してお金を払う。

分かりやすい例の一つはテレビタレントである。

現役の漫才師でもなく、その日一番の爆笑を取った訳でもないが、

知名度が最もある人物が審査員席に座り、その日一番の収入を得る。

それは、例えば「社内」でも同じで、総じて知名度の高い人物は、

重要な仕事を任されるケースが多く、結果としてプロモーションする機会に

恵まれることが多い。


そしてこれは事業というより大きなレベルにも当てはまると言える。

つまり、ある事業を成功させるうえで知名度は非常に重要である。

 

事業/起業の成功には、他に、知見(ノウハウ)と資源も重要であり

これは、以下の方程式に帰着するという考え方もある。

「①説明責任」×「②知見」×「③有効資源」の

そして成功の確率を高めるためには、それぞれのレベルアップが必要がある

(※①~③は末尾参照)

 

この①~③のレベルアップという意味で本ブログを育てていきたい。

自分らしさの発揮という意味では、特に「考え方/どう考えるのか」

に関するトピックを多くする予定である。

 

 

*****

 

①の説明責任は、②の知見を誰の責任において表明しているのか、

換言すれば自分の責任において(自分でリスクを取って)表明しているのか、

ということを指す。ここに先の知名度が関連付けられる。

ある特定の意見(あるいは、ポジション)を自分の責任において表明すること

=批判される(損失を受ける)リスクを取ること。

 

②の知見とは、特定の領域における、自分らしさを表現できる知見を指す。

事業に関しての高い専門知識であるが、しかしそれは自分らしさを表現

できていなければならない。なぜなら単に「高い専門知識」ということであれば、

それは誰か/何かによって代替されてしまうからだ。

 

③の有効資源とは、労働力、資本など、利用可能で

成功につながる可能性を増大させる資源を指す。

ここにソースコードとメディアを付け加えることもできる。

ソースコード/ソフトウェアは複製、再利用可能であるし、

メディアは実力が不足していても知名度において事業の成功につながる可能性を

高めるからである。